水素の同位体には、H(軽水素)、D(重水素)、T(三重水素)の3種類があります。化学的な性質は元素の種類で決まるため、H、D、Tはほとんど同じ性質を示しますが、原子の質量が異なるため、わずかに性質が異なります。近年、このわずかな違いを利用して、HをDに置き換える(重水素化する)ことで、薬の分解を遅らせて効果を長持ちさせたり、有機ELディスプレイの寿命を延ばしたり、半導体デバイスの性能を向上させたりできることが分かってきました。そのため、重水素の需要は今後ますます高まると考えられています。しかし、これらの原料となるH2とD2は性質が非常に似ているため、分離するのは簡単ではありません。現在は、わずかな沸点の差を利用し、約−250℃という超低温で蒸留する方法が使われています。この方法は大規模な設備と多くのエネルギーを必要とするため、より簡便で省エネルギーな分離技術の開発が強く求められています。
そこで注目されているのが「化学親和性量子ふるい(CAQS)」という新しい方法です。これは、水素分子が金属原子表面に吸着するときに金属-水素結合のエネルギーがわずかに異なる性質を利用して分離する技術です。H2とD2では、原子の重さの違いによって「ゼロ点振動エネルギー」と呼ばれる量子的な性質がわずかに異なり、その結果、物質への結合の強さ(吸着エンタルピー)にも差が生じます。この差が大きいほど、効率よく分離できます。
当研究室では、金属錯体において、これまでで最大となる5.0 kJ/molという吸着エンタルピー差を観測しました。また実際に、ガスクロマトグラフィーという手法を用いて、室温でH2とD2を分離することに成功しました。この成果は、これまで極低温が必要だった水素同位体の分離を、室温で行える可能性を示した重要な一歩です。将来的には、より省エネルギーで実用的な同位体分離技術の実現につながると期待されています。

(論文情報)
(掲載日:2026年3月3日)
